2003年12月12日金曜日

anode/大友良英,杉本拓,西陽子,秋山徹次,Sachiko M,芳垣安洋,一楽儀光,植村昌弘,itoken,高良久美子 2003/12/11

■anode/大友良英,杉本拓,西陽子,秋山徹次,Sachiko M,芳垣安洋,一楽儀光,植村昌弘,itoken,高良久美子 2003/12/11

http://www.callithump.info/past/anode/index.html

anode ライブの2曲目 最初のあの音が忘れられない。
��0人からPAを通さずに出てきた飽和から溶けたような爆発音はどのライブよりも迫力のある音だった。

anodeを知らない人のために書くと
この作品は幾つかの演奏上の制限を設けることによって作られています。楽曲を構成する3つのシリーズにはそれぞれ異なるルールが設定されていますが、すべてに共通する約束事は次の通りです。
a)他人の演奏に反応してはいけない。
b)演奏に起承転結等のストーリーをつけてはいけない。
c)普段使っている音楽的な語法:リズム、メロディ、クリシェを使ってはいけない。
ちなみに、1曲目が終わったあとに大友さんが「先ほどのはanodeのアルバムの2曲目と3曲目をアレンジした曲です」と言われ えーーー と思ったわけです。何曲目ってあるのかい と思ったわけです。
ま、あとでanodeのライナーノートを読んで分かったのですが、「ここでいう作曲とは即興演奏に制限をつけること」だそうで、1曲目から3曲目まで、それぞれにさらに異なる制限を設けていることで作曲ということになっているようです。
「例えば、Anode 1では打楽器奏者に対しては「大きな音量で、余韻が聞こえる前に次の音を出す」という指示を、Anode 2では「自分の出した音の余韻がなくなってから次のアクションを考える」、「毎回出す音は一打のみで、かつ音の種類や音色、音量を毎回変えること」というわずか2つだけの指示を出しています。また音色と音量については、それぞれの楽曲毎に、演奏者と相談のうえ、やはり使える音色と音量についての制限を設けています。」
だから、ライブ1曲目は噂には聞いていたけど非常に静かな状態での音楽でした。会場の備え付けの掛け時計は針を抜いて、お腹の鳴る音すら聞こえるので緊張感たっぷりのなか聞くわけです。
さて、anodeは会場の構成も変わっていて愛知芸術センターリハーサル室という音響室のようなところを丸く囲むように楽器が設置されていて、お客は楽器に囲まれて音楽が聴けるわけです。5.1chというサラウンドシステムより凄い10chのシステムな訳です。しかも4方にはドラムだなんて普通はありえない。
          高良久美子     杉本 拓       西 陽子       
           (vibraphone,    (electric guitar)   (prepared         
            percussion)                 17-string koto)
イトケン                                    一楽儀光
��percussion, drums)                            (percussion, drums)
Sachiko M                                  秋山徹次
��sine waves,                                  (turntable without records,     
contact microphone)                              contact microphone)
芳垣安洋                                   植村昌弘
��percussion, drums)                            (percussion, drums)
          大友良英               恵良真理
          (composition,             (percussion,
            electric guitar)             crotales)
上のような構成で、芳垣さんと大友さんの間あたりで最初は聞いてた。遠くから漂ってくる音は心地よくって最初は試すように各方向から1音づつ鳴ってきていた音が中盤頃は相手の音に反応するように重なってくることもあった。音色の1つ1つを解析するのは最近していなかった。音を贅沢に聞きすぎていたかもしれない。久しぶりの新鮮な聞き方だったかもしれない。
15分くらいの休憩の後にライブの2曲目だったのだけど。この対照的な音楽の出だしに心臓がドクっといい、そのあとの騒音とも見分けのつかないくらいの音の洪水にニヤケてきてしまった。周りを見てもそうだよ。あまりの騒音は笑えて来るようだ。
2曲目は自由に見て歩いてよい曲で、間近ではもちろん裏側からでも見れるのです。とは言ってもあまり近づかないで照れるからとは言っていたが。まるで、展覧会の彫刻を見るようにアーティストの演奏を見て回る様は現代美術だ。演奏を見る人たちはライブの舞台演出の一つのようだった。
一つ一つの演奏を一通り見るとあることに気づいた。良く耳を凝らしてみると自分のいる位置によって微妙に音色が違う。それは当然で、音の大きさのあまり10人の楽器がまざったノイズばかり聞こえていたが、それぞれ一つ一つから出る音は実力のあるアーティストの奏でる音であり耳を凝らせば素晴らしい音が流れているのであります。それが気づいた2週目からは音の位相に気にかけて回っていました。そうやって1音に集中して聞いてくると、今度は爆音であった10人ノイズが遠くに聞こえるというか白くなってくるというか。ただの音圧となってこの空間に充満している感じになった。これって先月聞いたLFOと同じ手法じゃないのと思った。

2003年11月29日土曜日

エレクトラグライド2003@幕張メッセ

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PICT0118
エレクトラグライドというイベントであなたは何を見たくて行ったの?と聞かれると何なんでしょうねえ(笑)
アンダーワールドはCD持ってるけどライブは一度も見たことないし、あとは聞いたことありません。
でも「太くてラウドなキックの音(高揚!)bymoOog」が聞きたい気分だったの。
夏のイベントのフジロックはそれは楽しいけど、あれはやはりロックのイベント。クラブミュージックはやっぱり閉じ込められた空間で聞きたい。

というわけで、遅れて入った巨大な空間は既に人だらけ。始まったばかりなのに外でくつろぐ人。アンダーワールド目当てなんだろうなと思いつつ、Luke Vibertの演奏する会場へ。
セット転換による間がないように会場はLIVEステージとDJステージになっていて交互に演奏をする形。
だからどこにいても音が聞こえてどこでも踊れるのだけど、立つ位置によってスピーカーから伝わる音が違っていて面白い。良い音のする位置を探すような感じで揺れながら歩いて2つのステージの中間あたりで踊っていた。人も少ないので踊りやすいしなによりTOMATOのVJが見やすいのだ。
去年のエレグラ大阪のティムデラックスもそうだったけど最初の人というのはフロアを適度に暖めなければならないから大変だと思う。
MEAT BEAT MANIFESTのRADIO BABYLONやクラフトワークのTour de France なんてのまでやってて分かりやすくてほっとした。知らないイベントにきたときにふらっと躍らせてくれる選曲をしてくれるのはうれしい。
��uke Vibertが終わるとColderというグループだったが、ちょっと場違いのような音楽。最初の頃はしまりのないモグワイのようでこの場でバンドセットは辛いなーと思いつつ、晩御飯を食べれてなかったのでフードエリアへ向かう。

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会場内には巨大な画面に寝ている人の映像と会場の様子をライブで編集した(?)映像が並んでいる。アンダーワールドの時のVJもそうだし他のもそうだけどカメラで映した映像をその場でibookで編集して流すスタイルや音に反応してVJが変化するプログラムなど現在という部分を意識した作りになっていたと思う。
ご飯を食べて帰ってきたらColderの演奏もましになってきていて、途中までは座っていたのだけど最後の方は踊りたくなってフラフラと楽しんでました。
で、次のfutureshockですが一番体力的にあった時間だし(会場に来る前に歩き回って疲れがピークになっていると言うのは、毎回分かっていながら懲りずにやってしまう)、何しろ曲もunderwaterのネタが多かった(ように思えた)ので結構好みでウン楽しめた。
underwaterのネタはそのあとの家ネコさんも使っていたけど、家ネコさんのはもっとサンプリングをちりばめている感じでこちらは原曲を生かしている感じ。でも原曲そのものでもないはず。一番好きだったかも。でも今回てどれも良くってどれが一番て付け難い。一言で言えば全体的に良いイベントだったということか。

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で、UNDERWORLDですが、さすがにこの頃になると人だらけ。そして、盛り上がりも一番。
つなぎが下手だとか何だとか言われながらも、みんな何だかんだいってUNDERWORLDが好きなんだねと思う。
それに、UNDERWORLDで人を集めたから他の人のときは踊りやすかったわけで、悪くないと思う。
賛否があるのも分かるが、やっぱり歌えて踊れる分かりやすいテクノは人気があるということなんだろうか。
��0年後も様式の一つとして生きつづけるのではないかと思えた。
ちなみに、最初ステージ正面後方にいたのだけど人の多さに嫌気が差して、ステージの後ろの方へ移動。
それがここがUNDERWORLDも見やすいし人が少なくて踊りやすいし、音いいし、これからずっとここにいた。

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Felix da Housecatもものすごく良かったしVJ(踊るおっさんのVJ Felix da Housecat本人?)もアホっぽくってよかったのだけどものすごく眠たくって30分くらい踊っていたけどあとの30分くらいは心地よい睡眠の音楽となっていた。
次のLFOは凄い!。初めて聞いたけどあの音圧は感動だった。ビシビシ届く音圧はまさに僕の想像するテクノらしいテクノというものの姿。突きつける低音の音の壁みたいなものと高音部分のなんとも言いがたい変化はこのイベントで最も特色があって異端じゃなかったんだろうか。踊りにくくって素人のような僕には、んーというかんじだったけど凄さは感じた。
で、最後の2many DJSだけどなぜかVJにはmany DJSとしかなくって「2」はと思ったりしたのだけどまあ、どうでもいいこと。じつは今回見に行った中で2many DJSの前評判に一番期待して行ったのだけどUNDERWORLDあたりから起きていた頭痛に30分くらいしか見ていられなかった。でも、これ僕の好みの人たちだわ。「今夜のDJは2manydjsです。あなたはまだ分かっていないようね。」みたいな日本語の仕込みにしろ、ニルバーナをかけたりするところなんてのもいいし、彼ら最後にしたのは正解だと思う。だれそうな時間をだれさせない人たちででした。帰り際のニルバーナには思わず立ち止まってしまった。
今年って去年のようにアクの強い人たちっていなかったけど全体的にいいイベントだったと思う。来年も行きたいと思うが(大阪にね)体力の使い方はもう少し学習した方がいいと思うね。

2003年6月8日日曜日

ソフィ・カル展(豊田市美術館)20030608

限局性激痛

 後で思えば小説であり映画であったけど、そのときは手探りで見ていました。
 僕にソフィ・カルと言う人への知識はなかった。《盲目の人々》は送られてきたチラシからおおよその世界はつかんでいたが・・・。

 豊田市美術館は3階へ上がると正面に小スペースがあり、その横に廊下があり、ここにも展示がされてた。前回のヴォルツガング・ライプ展もそうだったし。
 だからすぐに目がつくのは横の廊下の展示でした。それに、正面のスペースでは学芸員の人による解説がされていたので、人であふれていたし。
 正直、自分の時間で見て歩きたいので小スペースは後においておくことにした。
 という訳で、限局性激痛は途中から見ることになった。お稲荷さんだったかな、京都の写真が目に付いた。全体的に暗めの写真の下に白い紙に文章が書かれていた。本も貼られている。恋愛のことについてのようだった。
 昨日に縁結びの神社に、今日に縁切りの神社に行ったようなことが書かれていた。写真は地主神社だった。護符も撮られていた。写経の写真も。凶のおみくじも。実は会場を1周してやっと限局性激痛というものが見えたのだが、実は正面の小スペースというのがこの展示の始まりで、僕は物語の途中から読んだことになる。
 というわけで激痛の始まりは知らずにその途中から見始めた。
 限局性激痛は2部に分かれているような展示となっていて、前半はソフィカルの最悪の3ヶ月を撮った、別れとなった日本での生活の写真が貼ってあって、さっきも書いたように文字が連なる。写真には赤いスタンプでナンバリングされて最悪の日へカウントダウンしていく。
 次の展示室に行く途中に真っ白な壁に文字が。このために壁を塗りなおしたのかと、へーと言う気持ちになって入ると、別れのカウントダウンにあった写真の赤い電話の部屋がある。部屋が再現されているわけ。
 そしてそこからは、その赤い電話の部屋の写真とその横に違う写真。写真には文字がかかれている。赤い電話の写真には先ほど見た(と思う)文章がかかれていて、その横の話も重い。それがずらーと続くので、この人は執念だなと思う。
ちょうど、学芸員の人が追いついてきて話にちょっと耳を傾けながら読む。
「ソフィカルは92日間のカウントダウンの果てに、このホテルで破局を迎えた後、自らの辛さから逃れるために自らの辛い経験を話し、その代わりに話し相手の最もつらい経験を聞くということを始めます。ですから、ここからは、ソフィカルの辛い経験と、話し相手のの辛かった経験が並列的に並びます」
「日にちが進むにつれて左側のソフィカルの文章が短くなってきます。ちょっと見ただけでは気づきにくいのですが、左側の文字が少しづつ薄くなって来ており、最終的にはほとんど見えなくなってしまいます。」
「ほかの人々の話を聞いて私の苦しみが相対化されるか、自分の話をさんざん人に話して聞かせた結果、もう語り尽くしたと感じるに至るときまで、私はこのやりとりを続けることにした。この方法は根治させる力を持っていた。3ヵ月後、私はもう苦しまなくなっていたのだ。」
この作品たちを読み終えた後、重さがありながらも何か嫌な感じがしなかったは上のようなためだった。
この作品は矛盾を抱えていたと思う。重い作品なのに会場の乳白色の空間が暖かいのも。
ソフィカルの文章が白く消えても、話し相手の重い文章が残るのに・・・。
やはり、これは「15年たって、私はそれを掘り起こすのである」ということだったからだろうか。
前回が原美術館だったことも考えればそれも意図のうちに入っているような気がする。
ソフィ・カルの持つ矛盾感、その女性的な小説のような世界が好きになった。

2003年1月17日金曜日

時間 ヴォルツガング・ライプ展/中西夏之展 2003/01/17・18

■時間

 彼の出身地ドイツへはドイツ表現主義のようなイメージを持っていたので、ドイツの芸術家というのには少し意外な気もした。ドイツ表現主義とはまた違う世界であったから。ただ、北欧の世界と言われればなるほどそうかもしれない。奈良美智のもつ雰囲気に近いと思ったが、そういえば奈良さんはドイツに留学したんだ。ドイツは今こういう色なのかもしれない。
 さて、ヴォルツガング・ライプ展を豊田市美術館で見た前日、愛知芸術文化センターで中西夏之展を見た。ついでを言うと、その日は同じ芸術文化センターで原将人のライブムービーを見ており、そのイメージペインティングということでチラシを奈良美智が担当していて、奈良という単語がヴォルツガング・ライプ展の時に浮かんだのかもしれない。、
 んー、話がそれた。で、中西夏之の作品だけど、僕は今までハイレッドセンターの中西夏之ということしか知らなかった。洗濯バサミがキャンパス一面に付けられたり、またキャンパスを離れ、見ず知らずの人の服にもくっついていく「洗濯バサミは攪拌行動を主張する」しか知らなかった。だから、最初僕の趣味とは違うと思っていたのだが、1983年から続く《紫・むらさき》シリーズ、《白・緑より白く》シリーズ、《四つの始まり》シリーズなどの作品群に惹かれてしまった。 
 「選び抜かれた色彩への特質と相互関係」という解説のとおり、選び抜かれた色彩が「姿形」を変えて展開していくのが20年というスパンで続いているのが、うーん、この人の時間てなんなんだろうと思えた。
 むしろ、時間を表現する人なのかもしれないな。

さて、そして翌日にライプの作品を見た。《ヘイゼルナッツの花粉》《ミルクストーン》《どこかで 確かさの部屋》《ライスハウス》《ライスミール》
どれも温和な作品で乳白色で包み込んだ美術館の建物にぴったりだ。
美術館に着くと、ちょうどワークショップということで「ミルクストーン
」を作っていた。「ミルクストーン」は大理石の板一面にミルクを注いでいくというもの。ミルクは表面張力で零れ落ちずに光沢を見せてくれるわけだが、その作品のデリケートさに調和と緊張を感じた。ものすごく丁寧に大理石の上に注がれたミルクをなぞって隙間を埋めていくわけだが、最後の隙間が大切なように思えるのがねらいなんだろう。ミルクの張られた大理石を下から見上げて表面張力というものを確認してみたり、指でミルクストーンを触ったときの波紋をじっと見たり。ミルクストーンを巡る世界のようなゆったりした感じがライプの時間なんだろう。ヘイゼルナッツの花粉や甘い香りの蜜蝋の部屋にしてもゆったりした時間を感じる。おそらく、花粉の採取から始まるライプの作品製作の長い時間を感じるからだろう。
 そう、気付けば3時間も豊田市美術館にいたのだった。