先週、森美術館へ六本木クロッシングを見に行ってきました。
六本木クロッシングは2004年から始まった展覧会で今見ておきたいアーティストを紹介する見本市みたいなもの。
前回の紹介文
最も注目すべきクリエイターを2~3年ごとに紹介する展覧会、[六本木クロッシング:日本美術の新しい展望2004]が開催中です。
本展では現代アートを中心に、デザイン、ファッション、メディア・アート、建築など、さまざな創造的分野で活躍するアーティストを、世代や地域の枠組みを越えて幅広く紹介していきます。
前回の出展者をざっと見てみると、八谷和彦、法規信也、フジタマ、みかんぐみ、会田誠、深澤直人、ヤノベケンジ、アトリエ・ワン、坂茂、小谷元彦、やなぎみわ
展示作の良し悪しは別にして時代を感じさせるものがある。前回はタイミングの問題で見逃
してとても残念と思っていたから。
ということで、以下目に付いたものの感想。
会場へ入ると吉野辰海の大きな犬の彫像があってインパクトはあるけど展覧会としては保守的なのかなと思う。犬の口からしたみたいなものが伸びてその先に小人がいるあたり口から6体の弥陀仏を吐いている六波羅蜜寺の空也像を思い出す。
その隣に内原恭彦と言う人の高解像度の中東かアフリカか分からない異国のゴミ捨て場のような場所の3mほどの巨大な風景写真のような作品があ
る。この人は高解像度のデジタルカメラを使って数百枚枚数のデジカメ写真を繋ぎ合わせて、恐らく数十億画素になろうという一枚絵を作り出すという手法の
人。
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技術によって成立が可能になった世界。こちらの方が今を感じさせる。それにしてもこの圧倒的な情報量の世界については、解説がないとただの一枚
の風景写真に見えてしまう。写真の解像度について不思議に思わない人はただの写真に見えるかもしれない。が、細部まで写しこまれた作品と遠景と近景のピン
トが合わされた世界と繋ぎ合わせからくるズレの揺らぎにくらっとくる。
その反対側には、立石大河亞というひとの作品。この人の作品をこの場所にあげるというのはマンガという手法が芸術となりうると言うことの主張だ
と思うのだけど内原恭彦に比べると今を写すというインパクトに乏しいかも。当然、内原恭彦の作品だって技術の中に埋もれる要素は十分にあるけど今と今後を
見るというのでは今はこちらかなと思う。
他に写真の作品の中では中西信洋の
作品が面白かった。ポジフィルムに紅葉などの素材をを微妙にずらして写し、何枚も重ね合わせて不思議な質感の不思議な物体を作り出す。それと同じコンセプ
トで六本木ヒルズからの日の出を大きいフィルムに何枚も焼いて並べた作品も美しい。ありがちにもかかわらずきれい。それにしてもポジを重ねた作品は目から
うろこだ。
作品の中には旬の人かもしれないけど作品としては正直学芸会どまりというのもあったし、今後を左右することはないだろうけど面白いのもあった。
できやよいの
作品を見たとき、草間さんを思い出した。キャンパスに書かれたカラフルな女の子の顔は小さな女の子やパンダの顔で描かれていて、指の腹に絵の具を付けて
キャンパスに押し付けてそこに女の子やパンダの顔をいわば無限に描いていく。コピー&ペーストでは出せない世界は確かに凄いと思う。
冨谷悦子も同じように途方もない細密な作品を作る人。銅版画で作っているそうで、15センチくらいの小さなキャンバスに若冲の絵に出てくるような空想上の動物が描ききれないくらいの密度で描かれている。これを虫眼鏡も使わずに裸眼で彫ると言うのだからうわーと感嘆する。
できやよいにしろ冨谷悦子にしろ他に似たような作品を作るようなひとはいるかもしれないけど、偏執的な集中力は他では得られないだろう。
吉村芳生も偏執的な作品を作る人で面白かった。売れる絵ではないけど。365日毎日自画像を書いたり、ひたすら金網を模写し通づけたり、ある日
の新聞をひたすら克明に模写したり。無意味ともいえる作業をひたすらし続ける感じが面白い。365日の自画像は日によって微妙に表情が違ったり、線が荒い
日があったり。線が荒い日は調子が悪かったのかなと思ったり。他人の365日を見て面白いと感じてしまうのが面白い。
できやよいと冨谷悦子の作品の間には70年代に半狩りでハンガリーに行くなどのインスタレーションとかをやった榎忠の作品があって、何かの工業製品の金属部品で出来た4mくらいの大きさの未来都市のような世界はきらめきと重厚感があってイイ。少し高いところから作品を俯瞰的に見ることも出来て絶妙的にキレイな都市だと思う。
それにしても絵画とか彫刻とかオブジェとか版画とか旧来のメディアに関しては、今回の作品の中で気に入ったのはいずれも根気よく積み重ねていく作品ばかりだったように思う。さかぎしよしおうもその一人。陶芸の粘土をスポイトで一滴落として、丸い水滴が固まる前に次の一滴を落とす。こうして出来た水滴の塊を釉薬を塗って窯で焼くと出来上がりだそうで、水滴の揺らぎと根気よく積み重なっている様が面白かった。
結局旧来のメディアは突き詰めていくところに魅力を感じるしかないのかな。
その他のメディアにかんしては、数が少ないけど面白いのがあった。
田中偉一郎の公園に群がるハトに、「岡本 常夫」とかテキトーな名前をつけた迷作『ハト命名』とかこけしをマリオネットにする作品とか、刺身の魚拓とかくだらなすぎて笑える。赤瀬川、林丈二、小沢剛に通じる匂いがする。
佐藤雅彦+桐山孝司の
「計算の庭」も面白かった。ピタゴラススイッチの人だけど、自動的に計算がICチップに読み込まれるようになるカードをもってゲートをくぐると+3とか×
��とか読み込まれる。73と言う数字になるようになんどもゲートをくぐるのだけど、ただ計算のためというか73という意味のない数字を求めるために「計算
の庭」をさまよう感覚は面白い。
他にも、以前から他のメディアで見てきた人たちが今回の展覧会で紹介されていて嬉しく思ったりした。
辻川幸一郎はコーネリアスのPVを作ってきた人で、まあ最近とっても有名になってきたのだからいたって当然なんだけれども。スターフルーツサーフライダーのPVの頃から好きだったので。会場ではコーネリアスの作品で使ったPVが使われていた。
Ages5&Upはインターネットを始めた98年ごろに遊んだポポロンやその後の作品からコンセプトはなんら変わっていない。洗練され
てインターフェースが進化して。ディスプレィ上のカーソルをクリックするとボヨーンとはねたり、ブルブルとしたりは以前見た気はするけどまさかマウスまで
震えるとは思わなかった。何年か前にAges5&Upの中村克也さんが亡くなって。結構メディアで目に付いたのは中村さんのほうだったのでどう
なってるのかと思われたところの今回の出品。以前と変わらないのは意思なのかどうなのか。とっても気になっています。
山口崇司/d.v.d
会場には2台のドラムキットが置かれて自由に叩いていいようになっている。ドラムを叩くとドラびでおのようにドラムに反応してVJが動く。こう上手な人が叩くと下の映像のようになる。
会場にも映像も流されていて、おーd.v.dじゃん、イトケンさんじゃんと嬉しくなる。
onnacodomoといいd.v.dといい、PVはキレイだったらいいという時代じゃなくなってきたのかなと思う。
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